淡路人形座3月通常公演のご案内です
本日より3月です。淡路人形座では通常公演が、
『壺坂霊験記 山の段』 ・ 『戎舞』にかわります。
上演の詳細は下記をご参照くださいませ。
1日から18日まで
●通常公演
演目「壺坂霊験記 山の段」
10:00~
11:00~
演目「レクチャー」・「戎舞」
13:00~
14:00~
15:00~
20日から25日まで
●通常公演
演目「一谷嫩軍記 須磨浦の段」
10:00~
11:00~
演目「レクチャー」・「戎舞」
13:00~
14:00~
15:00~
27日から31日まで
●通常公演
演目「壺坂霊験記 山の段」
10:00~
11:00~
演目「レクチャー」・「戎舞」
13:00~
14:00~
15:00~
なお29日の午後の演目が下記にかわります。
演目「人形解説」・「戎舞」
13:00~
14:00~
15:00~
[レクチャーとは太夫・三味線・人形の解説をする事です。]
なお3月の毎水曜日(5・12・19・26日)は水曜日特別メニューと題し
開館いたします。
詳細は下記をご参照ください。
演目「人形解説」・「戎舞」
10:00~
11:00~
13:00~
14:30~
「壺坂霊験記 山の段」解説・あらすじ
■解説
明治の初期、松本喜三郎による生人形『西国三十三所観音霊験記』の興行が東京や大阪でたいへん人気を集めました。生人形とは、等身大で作られた、まるで生きているかのような写実的な人形のことで、そうした人形細工の見世物が当時盛んに行われていた。この生人形『観音霊験記』の人気を当て込んで、明治十二年(1879)十月、大阪大江橋席で人形浄瑠璃『西国三拾三所 観音霊場記』が初演されました。各霊場の霊験譚を集めてオムニバス式に上演したものですが、その中に第六番札所壺坂寺の霊験を描く「壺坂寺沢の市住家のだん」も含まれていました。その後、この作品は改作され、明治二十年(1887)二月、大阪彦六座で『観音霊験記 三拾三所花の山』として上演されました。その中の「沢市内のだん」が後に独立して上演されるようになり、今日の『壺坂(観音)霊験記』となりました。作曲は三味線の名人として名高い二代目、豊沢団平によるもので人気曲となって現在まで上演が繰り返されてきました。夫婦愛を描く内容がわかりやすく、歌舞伎でも上演される人気作となっています。
■あらすじ
大和国壺坂に住む座頭の沢市は、女房お里の内職のかせぎに助けられながら、細々と暮らしていました。沢市は近頃お里が毎晩家を空けることに気づいて、お里が不義をはたらいているのではないかと疑いを持っていましたが、実は沢市の目が治るように、壺坂寺に願掛けに行っていたのだと知ります。沢市は貞節な女房を疑ったことを詫び、お里の勧めるままに壺坂寺へ参籠することになりました。三日間断食すると言って一人残った沢市は、どうせ望みはかなわない、自分と暮らしていてもお里は幸せにはなれないと絶望し、傍らの谷に身を投げてしまいます。後を追ってお里も身を投げますが、観音様のご利益で二人の命は救われ、沢市の目も見えるようにまります。喜んだ夫婦は萬歳を舞ってお礼参りをするのでした。
「戎舞」 解説・あらすじ
■解説
戎さまは今では商売の神様にもなっていますが、もともとは海の神様でした。
淡路島では昔から漁村のお祭りで浜芝居が行われ、間狂言として大漁や航海の
安全を祈って必ず舞われていたのが「戎舞」でした。自分の狙う魚の大漁を
祈って欲しいと次から次に魚の名前を叫ぶ漁師さんに応え、太夫はその漁村で
捕れる魚の名前をずっと語り続けたそうです。人形が神事として遣われた古い
形を残した出し物で、太棹三味線の伴奏ではなく、太鼓で語ります。
■あらすじ
戎さまが釣竿をかついで淡路人形座へやってきました。庄屋さんはお神酒を
出します。さかずきを飲み干した戎さまは、自分の生まれや福の神であること
を話しながら舞い始めます。海の幸、山の幸を前にみんなの願いをかなえようと
お神酒を飲み、幸せを運んできます。酔った戎さまは、船の乗り、沖に出て、
大きな鯛を釣り、メデタシ、メデタシと舞い納めるのでした。太鼓のリズムに
合わせ、戎さまが楽しく舞うこの神事には、おおらかな心を持ち、えびす顔で
プラス思考に生きるという幸せの原点が込められています。