淡路人形座8月通常公演のご案内です

本日より8月です。淡路人形座では通常公演が、
『傾城阿波の鳴門 順礼歌の段』 
『壺坂霊験記 山の段』にかわります。
上演の詳細は下記をご参照くださいませ。
1日から18日まで
●通常公演
 演目「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」
  10:00~
  11:00~
 演目「壺坂霊験記 山のの段」
  13:00~
  14:00~
  15:00~
※ 偶数日は午前と午後の演目が入れ替わります。
  
19日
●通常公演
 演目「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」
  10:00~
  11:00~
※ 午後から休館いたします。
21日から24日まで
●通常公演
 演目「レクチャー」・「戎舞」
  10:00~
  11:00~
  13:00~
  14:00~
  15:00~
25日から31日まで
●通常公演
 演目「ワンコインレクチャー」
  10:00~
  11:00~
  13:00~
  14:00~
  15:00~
[レクチャーとは太夫・三味線・人形の解説をする事です。]
なお8月6日(水)は水曜日特別メニューと題し
開館いたします。
詳細は下記をご参照ください。
演目「人形解説」・「戎舞」
  10:00~
  11:00~
  13:00~
  14:30~
※ なお19日(火)の午後から、20日(水)、27日(水)は臨時休館いたします。
「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」 解説・あらすじ
■解説
「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します…」という順礼の娘
おつるのセリフがよく知られている『傾城阿波の鳴門』は、近松門左衛門の
『夕霧阿波鳴渡』を改作した近松半ニらの合作で、傾城夕霧とその恋人藤屋
伊左衛門の話に、阿波の藩主蜂須賀家(玉木家)のお家騒動をからませた
十段続きの時代物です。明和五年(一七六八)竹本座で初演されました。
現在では八段目の「十郎兵衛住家(順礼歌の段)」だけが上演されます。
盗賊の一味となっているために親と名乗れず、我が子を追い返す場面が最も
有名で、涙を誘います。
■あらすじ 
十郎兵衛・お弓の夫婦は、徳島の玉木家の家宝国次の刀を探すため、大阪の
玉造に住み、十郎兵衛は名前も銀十郎と変え盗賊の仲間に入っていました。
お弓が留守番をしているところに手紙が届きました。十郎兵衛らの悪事が
露見し、追っ手がかかったので、早く立ち退くようにとの知らせでした。
お弓は夫の無事と刀の発見を祈って神仏に願をかけているところに、順礼の
娘が訪れます。国許に残してきた自分の娘と同じ年頃なので、話を聞いて
みると両親を探して徳島からはるばる旅をしてきたという身の上を語ります。
両親の名前を聞いてみると間違いなく自分の娘であることがわかりました。
今すぐに抱きしめ母と名乗りたい思いを抑え、盗賊の罪が娘に及ぶことを
恐れて、国へ帰るように諭します。そしてこのままここにおいて欲しいと
頼むおつるを、お弓は泣く泣く追い返します。おつるの歌う順礼歌が遠のくと、
お弓はこらえきれずに泣き崩れるのでした。しかし、このまま別れてはもう
会えないと思い直し、急いでおつるの後を追います。
「壺坂霊験記 山の段」解説・あらすじ
■解説
明治の初期、松本喜三郎による生人形『西国三十三所観音霊験記』の興行が
東京や大阪でたいへん人気を集めました。生人形とは、等身大で作られた、
まるで生きているかのような写実的な人形のことで、そうした人形細工の
見世物が当時盛んに行われていた。この生人形『観音霊験記』の人気を
当て込んで、明治十二年(1879)十月、大阪大江橋席で人形浄瑠璃
『西国三拾三所 観音霊場記』が初演されました。各霊場の霊験譚を集めて
オムニバス式に上演したものですが、その中に第六番札所壺坂寺の霊験を描く
「壺坂寺沢の市住家のだん」も含まれていました。その後、この作品は改作され、明治二十年(1887)二月、大阪彦六座で『観音霊験記 三拾三所花の山』として
上演されました。その中の「沢市内のだん」が後に独立して上演されるように
なり、今日の『壺坂(観音)霊験記』となりました。作曲は三味線の名人として
名高い二代目、豊沢団平によるもので人気曲となって現在まで上演が繰り
返されてきました。夫婦愛を描く内容がわかりやすく、歌舞伎でも上演される
人気作となっています。
■あらすじ
大和国壺坂に住む座頭の沢市は、女房お里の内職のかせぎに助けられながら、
細々と暮らしていました。沢市は近頃お里が毎晩家を空けることに気づいて、
お里が不義をはたらいているのではないかと疑いを持っていましたが、実は
沢市の目が治るように、壺坂寺に願掛けに行っていたのだと知ります。沢市は
貞節な女房を疑ったことを詫び、お里の勧めるままに壺坂寺へ参籠することに
なりました。三日間断食すると言って一人残った沢市は、どうせ望みは
かなわない、自分と暮らしていてもお里は幸せにはなれないと絶望し、傍らの
谷に身を投げてしまいます。後を追ってお里も身を投げますが、観音様のご利益で
二人の命は救われ、沢市の目も見えるようにまります。喜んだ夫婦は萬歳を舞って
お礼参りをするのでした。
「戎舞」  解説・あらすじ
■解説
戎さまは今では商売の神様にもなっていますが、もともとは海の神様でした。
淡路島では昔から漁村のお祭りで浜芝居が行われ、間狂言として大漁や航海の
安全を祈って必ず舞われていたのが「戎舞」でした。自分の狙う魚の大漁を
祈って欲しいと次から次に魚の名前を叫ぶ漁師さんに応え、太夫はその漁村で
捕れる魚の名前をずっと語り続けたそうです。人形が神事として遣われた古い
形を残した出し物で、太棹三味線の伴奏ではなく、太鼓で語ります。
■あらすじ
戎さまが釣竿をかついで淡路人形座へやってきました。庄屋さんはお神酒を
出します。さかずきを飲み干した戎さまは、自分の生まれや福の神であること
を話しながら舞い始めます。海の幸、山の幸を前にみんなの願いをかなえようと
お神酒を飲み、幸せを運んできます。酔った戎さまは、船の乗り、沖に出て、
大きな鯛を釣り、メデタシ、メデタシと舞い納めるのでした。太鼓のリズムに
合わせ、戎さまが楽しく舞うこの神事には、おおらかな心を持ち、えびす顔で
プラス思考に生きるという幸せの原点が込められています。