淡路人形座で研修した人々

淡路人形座で研修した人々

国内

熊本県 清和文楽
清和文楽館で雇用された倉岡寿典さん、佐藤義和さん、渡邊奈津子さん、岡本翔さんは語りと三味線の修行のために2年間、人形遣いの山下真衛さんも2年間、梶原修二さんは約1ヶ月間、淡路人形座で研修。
長野県 伊那四座(黒田人形保存会、今田人形保存会、早稲田人形保存会、古田人形保存会)
淡路人形座の吉田東太郎師匠の後、吉田新九朗が毎年、人形の指導のために長野県に出張している。人形の着付けは、淡路人形座で研修。
京都府 和知人形浄瑠璃保存会
淡路人形座で人形遣いの研修。
愛媛県 朝日文楽保存会
淡路で太夫と三味線の研修。
岡山県 奈義町横仙歌舞伎
寺坂信也くんが淡路人形座で太夫と三味線を2年間研修。
淡路人形座の竹本友庄が奈義町で語りを指導。

海外

研修生を囲んで
ライレン・ウィンター
淡路人形座の昭和45年の第一回アメリカ公演の三ヶ月後に、浄瑠璃を教えてほしいと淡路人形座を訪れた。アメリカコロンビア大学の音楽講師。約1カ月半修行した。
ジュリー ティモア
学生時代にアメリカから、淡路人形座に来て約一カ月研修。ブロードウェイのミュージカル、ライオンキングの舞台の演出をしたことで有名。ライオンが怒った時に顔が前に出るのは、淡路人形座で研修をした侍の人形の遣い方からヒントを得た。
ウィリアム・グリンソン・ビル
アメリカから人形と浄瑠璃を習いにやってきた。淡路素義審査会にゲスト出演し、「絵本太功記十段目 尼ヶ崎の段」を語った。
ジェラルディン・メレット
子どもの頃から日本語に興味を持ち、オーストラリアから来日し、英語教師をしていた。グリンソン・ビルさんから淡路人形座での修行について話を聞き、昭和56年10月から当時の財団法人淡路人形協会理事長の森勝宅に2カ月間ホームスティし修行、研修最終日に「傾城阿波鳴門 順礼歌の段」のお鶴を舞台で演じた。オーストラリアに帰国後、国営のABCテレビに就職し、人気芸能キャスターとなった。昭和61年淡路人形座のオーストラリア、ニュージーランド公演の舞台通訳を務めた。
ポーランド国立アレッキン劇団
1970年代に国際交流基金の受け入れ課の事業として、ポーランド国立演劇大学の人形劇学科の教授と学生9名が日本で約一ヵ月間滞在。淡路人形座でも三人遣いの人形の構造、遣い方のどの研修をした。大学卒業後国立アレッキン劇団に入団し、紙粘土で人形のかしらや手足を作り、ダッキ(女性の顔が鬼になるかしら)まで制作して、三人遣いの日本が舞台の人形劇「おしんちゃん、笑って、笑って」を上演。その後、「つなみ」も上演した。三人遣いの技法で「カルメン」や「ドンキ・ホーテ」なども上演。海外の人形劇団の三人遣いブームのきっかけとなった。
ミューリエル・カミュー
昭和62年淡路人形座に研修を希望して突然現れたフランス人女性。ブルリン大学の友人シュルンツェ・ロルフから淡路人形座の情報を聞き、延べ4回約八カ月間研修。最初2回は一人であったが、3回目は友人の人形遣いと4回目は東ドイツの人形師も人形作りの研修のため一緒に来日した。平成11年の第9回全国人形者倍サミット&フェスティバルで上田秋成原作の「蛇性の婬」を里帰り上演した。
ジェーン・マリー・ロー
コロラド大学卒業後、甲南大学に留学し、観光で淡路人形座に立ち寄った。帰国しシカゴ大学大学院で宗教学を学び、再び筑波大学に2年間留学。宗教学から民俗学的な背景等研究し、淡路人形の三番叟を「PUPPETS OF THE ROAD]の論文にまとめた。その後、プリンストン大学から出版した「PUPPETS OF NOSTALGIA」は英語で淡路人形だけについて書かれた初めての本となった。平成9年(1997)のアメリカ公演では、ニューヨーク、クリーヴランド、ケント大学の舞台通訳だけでなく、公演前の淡路人形のレクチャーも担当した。平成22年(2010)のカナダ・アメリカ公演では、自分が勤めるコーネル大学で淡路人形座の公演をしたいという夢を叶えた。
バジル・ツイスト
ニューヨークで活躍する人形遣いだが、淡路人形座が平成9年に国際人形劇フェスティバルで招かれたフランスのシャルルビル・メジエールの人形劇学院の卒業生。淡路人形座の展示会場で淡路の市村六之丞座の公演の様子を見て、淡路独特の舞台機構である道具返しに興味を持ち、淡路人形座と淡路人形浄瑠璃資料館や徳島で研修した。道具返しにインスピレーションを得て2004年に制作した「DOGUGAESHI」でNYベッシー賞、NYイノベィティブ・シアター賞を受賞し、2007年に日本での里帰り公演をした。