主な国内公演

主な国内公演

昭和45年4月4日、5日
国立劇場公演
演目 昼の部 通し狂言「玉藻前曦袂 化粧殿の段・洛陽の高殿の段・夏座敷の段・道春館の段・七化けの段」
夜の部 通し狂言「賤ヶ嶽七本槍 焼香場の段・清光尼庵室の段・政左衛門館の段・山の段」

昭和42年8月、国立劇場芸能部制作室、西角井正大氏より、国立劇場公演の依頼があり、文楽にはない淡路独特の出し物が希望であった。候補に挙がったのは、「賤ヶ嶽七本槍」、「玉藻前曦袂」、「鬼一法眼三略之巻」で、「鬼一法眼」は五条橋だけが淡路らしいということで「賤ヶ嶽七本槍」と「玉藻前曦袂」が選ばれた。通し上演をするために淡路から文楽に移った豊田穀栄、小林常一、吉川菊一にも出演を頼み、三十年以上、上演されていなかった「賤ヶ嶽七本槍」を10日間合宿して稽古し、公演に臨んだ。淡路人形座の初代理事長の清水太七郎は「焼香場」を語り、淡路の山城少掾と呼ばれた。一人遣いの人形の客席通路での立回り、道具返し、主遣い堀川嘉一、足遣いの名手吉川菊一の演じる政左衛門の後ろ歩きなど、淡路人形ならではと観客をうならせた。特に山の段での加藤正清の活躍する戦闘シーンで、豊田吉弥が立回りとは関係なく、五個の切り首(張りぼて)を拾っては投げ続け、客席まで飛んでいく等、計算されない面白さで、舞台と客席が一体となる雰囲気が醸し出された。また、「玉藻前曦袂 狐七化け」で主遣いの堀川嘉一が汗かきのため、目に入る汗を拭こうと南淡町職員であった榎本千秋が大見えを切ったところで、タオルで顔を拭いた。客席は大爆笑、拭かれた堀川の必死になって笑いをこらえた様子は語り草となった。公演を終えた三十六名の顔には満足感にあふれていた。楽屋には三島由紀夫夫妻、瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴)、宇野千代さんらが訪れた。

昭和63年8月8日、9日
国立劇場第54回民俗芸能公演「郷土に生きる人形芝居」
演目 「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」
平成7年6月5日
伊丹アイフォニックホール
演目 「傾城阿波鳴門 順礼歌の段」「戎舞」「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」
平成7年7月6日
兵庫県民小劇場 コンサート“復興の街へ”第三回 淡路人形芝居
演目 「東海道中膝栗毛 赤坂並木の段」「人形教室」「義経千本桜 道行初音の旅」

阪神淡路大震災に際し、イタリアのトリノに本部を置く青年戦況奉仕団より皇后さまに対して被災地のためにお使いくださる10万ドルの寄付の申し出があった。この寄付金と芸術文化振興基金で阪神淡路大震災被災者を励ますための芸術文化事業として行われた公演で皇后陛下の希望があり、淡路人形座の公演が行われた。

平成12年11月12日
静岡芸術劇場 淡路人形浄瑠璃
演目 「傾城阿波鳴門 順礼歌の段」「人形教室」「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」
平成15年3月8日、9日
国立劇場第九四回民俗芸能公演 現代にいきづく人形芝居
演目 3月8日 「賤ヶ嶽七本槍 山の段」
3月9日 「玉藻前曦袂 道春館の段 狐七化けの段」
平成20年2月17日
兵庫県芸術文化センター 淡路人形浄瑠璃
演目 「絵本太功記 尼ヶ崎の段」
平成23年1月29日
京都造形芸術大学 淡路人形浄瑠璃「玉藻前曦袂」
演目 「玉藻前曦袂 道春館の段・神泉苑の段・狐七化け」
平成23年12月11日
南三陸町平成の森公演
演目 「戎舞」「人形教室」「壺坂霊験記 山の段」「本朝廿四孝 奥庭狐火の段」

東日本大震災で大きな被害を受けた南三陸町に淡路県民局の事業として慰問公演をした。

平成24年1月27日・28日
国立劇場開場四十五周年民俗芸能公演 淡路人形芝居
演目 1月27日 「玉藻前曦袂 道春館の段・神泉苑の段・狐七化け」
1月28日 「戎舞」「絵本太功記 尼ヶ崎の段」「奥州秀衡有鬠壻 鞍馬山の段」

淡路独自の演目、演出を売りに演目を選び、発売12日で売り切れるほど好評の公演となった。