淡路人形座3月公演予定のご案内です。
●通常公演
 演目「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」
  10:00~口
  11:00~奥
  13:00~口
  14:00~奥
  15:00~口
  (口=前半、奥=後半)
 鑑賞料:大人1,500円、中高生1,300円、小学生1,000円、幼児300円
 セット料金:大人2500円、中高生2100円、小学生1600円、幼児500円
 休館日:毎週水曜定休日 [20日は祝日の為、21日(木)に休館いたします]
■「傾城阿波の鳴門 順礼歌の段」解説
「ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します…」という順礼の娘お鶴のセリフがよく知られている『傾城阿波の鳴門』は、近松門左衛門の『夕霧阿波鳴門』を改作した近松半ニらの合作で、傾城夕霧とその恋人藤屋伊左衛門の話に、阿波の藩主蜂須賀家(玉木家)のお家騒動をからませた十段続きの時代物です。明和五年(一七六八)竹本座で初演されました。現在では八段目の「十郎兵衛住家(順礼歌の段)」だけが上演されます。盗賊の一味となっているために親と名乗れず、我が子を追い返す場面が最も有名で、涙を誘います。
■あらすじ 
(口)十郎兵衛・お弓の夫婦は、徳島の玉木家の家宝国次の刀を探すため、大阪の玉造に住み、十郎兵衛は名前も銀十郎と変え盗賊の仲間に入っていました。お弓が留守番をしているところに手紙が届きました。十郎兵衛らの悪事が露見し、追っ手がかかったので、早く立ち退くようにとの知らせでした。お弓は夫の無事と刀の発見を祈って神仏に願をかけているところに、順礼の娘が訪れます。国許に残してきた自分の娘と同じ年頃なので、話を聞いてみると両親を探して徳島からはるばる旅をしてきたという身の上を語ります。両親の名前を聞いてみると間違いなく自分の娘であることがわかりました。今すぐに抱きしめ母と名乗りたい思いを抑え、盗賊の罪が娘に及ぶことを恐れて、国へ帰るように諭します。そしてこのままここにおいて欲しいと頼むお鶴を、お弓は泣く泣く追い返します。お鶴の歌う順礼歌が遠のくと、お弓はこらえきれずに泣き崩れるのでした。しかし、このまま別れてはもう会えないと思い直し、急いでお鶴の後を追います。
(奥)入れ違いに十郎兵衛がお鶴を連れて帰ってきます。わが娘とは知らず、お鶴の持っている金に目をつけ、貸してくれと頼みます。怯えたお鶴が騒ぐのを止めようとして、誤って窒息死させてしまいます。お鶴を見失ってしまい家に戻ったお弓は、このことを知り、不幸な娘の身の上を思いやって涙にくれます。わが娘を殺してしまった十郎兵衛も後悔の涙にむせぶのでした。嘆きのうちにも捕手の迫る気配に十郎兵衛は覚悟を決め、捕手を追い散らすとお鶴の死骸もろともに我が家に火を放ち落ち延びるのでした。
●特別公演
 演目「一谷嫩軍記 須磨浦の段」
 場所:淡路人形座
 鑑賞料:大人1,500円、中高生1,300円、小学生1,000円、幼児300円
 日程:平成25年3月20日(水)10:00、11:00
■「一谷嫩軍記 須磨浦の段」解説
西日本各地には源平合戦の古戦場が多くあります。須磨の浦の激しい戦いの後、平家方の一部は淡路島に渡ったと伝えられ、淡路島にも古戦場や史跡があり、淡路人形座のある福良港には、平清盛の甥、敦盛の首を荼毘にふしたと伝えれる煙島や、鶴島城跡などがあります。「祇園精舎の鐘の声・・・」の有名な書き出しで知られる、平家の栄華と没落を描いた『平家物語』は、様々なジャンルの文字や芸能の源になりました。人形浄瑠璃でも源平合戦を描いた作品は数多くありますがその中でも『一谷嫩軍記』は代表的な名作です。宝暦元年(1751)に大阪豊竹座で初演された五段続きの作品ですが立役者の並木宗輔が三段目までを執筆して亡くなり、その後の段を浅田一鳥らが補筆して完成させました。三段目の切が有名な「熊谷陣屋の段」で、それに先だって熊谷直実が敦盛(実は熊谷の息子の小次郎。敦盛は後白河院の落胤であり、院に恩義のある熊谷は、我が子を身代わりにして敦盛を助ける)を討つのが二段目の中「須磨浦組討の段」です。この段は、あくまでも熊谷が敦盛を討つものとして劇が進行しますが、我が子と敦盛の姿を重ね合わせる熊谷の胸中には、より複雑な思いが隠されているのです。
■あらすじ
平家軍のほとんどは船に乗り、屋島へ向けて退こうとしていました。須磨の浜の波打ち際で、敦盛も平家軍の船を目指して沖に向って馬を走らせる途中、声を掛けたのは熊谷直実でした。「引き返して勝負あれ」との熊谷の言葉に、敦盛は引き返し、熊谷と一騎打ちの勝負になります。組み合ううちに馬から落ち、最後は熊谷が敦盛を組み伏せました。熊谷は、覚悟を極め「自分の首をとれ」としおらしく言う敦盛が自分の息子と同じ年頃なので、憐れんで見逃そうとします。しかしその様子を源氏方の平山武者所ヶ見ており「わざわざ組み敷いておきながら平家方の大将を逃がすとは、熊谷は二心あるに極まった」と声高に罵りました。敦盛は自分の回向を頼み、仕方なく熊谷は、ためらいながらも「未来は必ず一連托生」と願い、敦盛の首を討ち落とします。あまりに若い貴公子の最期に、敵方である熊谷も涙しながら、死骸を馬の背に乗せ、自らも陣所へと帰るのでした。
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